【パニック障害】発作以外でつらかったこと
最近芸能人の方でもパニック障害を告白する人のニュースをチラチラと目にするようになった
ワタシは15年くらいまえにパニック障害になり 当時ワタシのまわりにパニック障害の方はいなく自分でもイマイチ病気を理解していなかったため苦しんだのを覚えている
発作がなによりツライが 今回は発作以外につらかったことを書いてみる
子供たちの行事に参加できない
ワタシはパニック障害を娘が4歳・息子が1歳くらいのときに発症したので 幼稚園や小学校など親子で参加する行事になかなか参加できないことが多かった
母親として子供の一瞬一瞬の成長や表情をみれないことはとてもつらいものだった
参加できないことで子供たちにもさみしい思いをさせてしまったのだ
発症前までは 生まれて数か月の息子をおんぶし 幼稚園までバスに乗り娘の誕生日会や保育参観などバンバン行けていたのにそれがまったくもってできなくなってしまった
まわりの理解
いままでできていたことができなくなったり 子供たちの行事など参加できなくなると 他人から言われることが
「子供たちが淋しいだろうね…」
「あらぁ せっかくの〇〇式なのに…」
「大丈夫だよ。そこに座っていればいいだけ」
「なんも 全然こわくないから」
などだ
うん 知ってる
だってワタシできてたもん(笑)
パニック障害がまだあまり知られていないときだったから まわりからの声もしょうがないことだが できなくていちばん傷ついているのは本人だ
子供たちが淋しいだろうなとか 母親である自分がいちばん理解し気にしていることだ
家族の理解
これは他人の理解よりつらかったことだ
たしかに一緒に住む者も 家族が「パニック障害」になりましたといわれて どんな病気なのか どんなことになるのか不安だったかもしれない
けれども
休日に不安で出かけることができないときや 子供たちのため一生懸命ショッピングセンターなどにでかけやっぱり途中発作が起き 車で休みたいなど告げたときなど
しかめつらで「はぁ?」とイヤそうにいわれて
これはとても傷つく態度だった
発作がこわく できないことやできないからこその何らかの提案を話すと顔に出されていた
一緒に暮らす家族がいちばんチカラになってほしい存在なのに 毎回そんな態度をされるとホントにかなしく隠れて泣いたこともあった
引っ越し
わが家は転勤族なため 何年かに一度は引っ越しをしてきた
その土地に慣れ友達ができては引っ越し 子供たちにも転校により友達と離れるというかなしい思いをさせてきた
新しいことや先が見えないことなどに強い不安を感じるためパニック障害のひとにとっても引っ越しはかなりの負担だ
はじめはママ友ゼロなので小学校の相談などできずに不安だし 行きなれないスーパーや病院など不慣れな環境がまた心を不安定にさせ発作が起きやすくなる
振り返ってみて今の自分が思うこと
10年くらい前よりもパニック障害にたいして理解者もふえて生活しやすくはなったのかもしれないが やはり発作のつらさは経験者でなければ分からないことだと思う
なのでワタシは友人や学校の先生などに自分はパニック障害だとカミングアウトし できることやできないこと こうなったらお願いしますと協力してほしいことを伝えるようにしている
いま現在 体調にもよるが前よりはずいぶんと発作も落ちついてきて 薬を服用しなくても歯医者やバス・新幹線などの乗り物 あとは説明会のような人の集まりなど その場に行くまではドキドキするがすこしずつ「できること」がふえてきた
完治するひと たまにドキドキするひと 数年で治るひと 何十年もかかるひと
個人差はあると思うが 家族や友人など近しい存在で パニック障害を理解し寄りそってくれる人は治療をすすめるためにもとても大事だと感じた
発作は不安により動悸がしてその場にいてもたってもいられなくなるもので
いきなりぶっ倒れたり発狂したりするものではなく 見ため的にはソワソワしていたり不安そうな顔をすると思う
んじゃ まわりはどうしたらいいの?
そんな時は人目のないところや その場から脱出させていただければ次第に落ちついてくるのでパニック障害の方が不安そうだったら
「出ようか💗」と紳士のお誘いのように誘導してあげてほしい
ありがとうございました