【酒癖】【プチネグレクト】【不機嫌】身近な反面教師たち
ワタシは若いころから自らの愚行で家族や友達に叱られ みなさんのおかげで成長させていただいて生きてきたが
身近な反面教師の人たちにも大いに成長させていただいて生きてきた
特に母からの教えはワタシたちきょうだいにとってとても大きな学びになった
酒癖
ワタシが実家に住んでいたころ 母は週2・3日くらいお酒を飲むのだが 足元もおぼつかず呂律もまわらないくらい毎回必ず泥酔状態になるまで飲むひとだった
泥酔状態になると
時には甘えてベタベタしてきたり
時には感情的になり泣いたり
時にはヘッドホンをかけて昭和歌謡曲を歌ったり
時には自分の歯を抜いてみたり
時にはティッシュ箱を投げつけてきたり
時には他人に悪態ついたり
時には父と激しく喧嘩していたり・・・
そんな母だった
ワタシが小学校高学年のある日母が学校の何かか地域の何かの集まりでよる出かけた
22時ころ突然家電が鳴り
「娘さんかな?お母さんがお酒飲みすぎて帰れないみたいなので○○に迎えにこれるかな?」
と言われた
父も飲みに出かけ不在だし 家にはじいちゃんばあちゃんがいたが子供ながらに内緒にしておいた方がいいと悟ったため内緒にし
姉と兄も視界にはいなかったのでワタシの中でいないことになっていたため
家から徒歩300メートルくらいだし「まいっか」とおもいひとり家をでた
店の前には同じ小学校の上品なお母さんに腕を組まれ支えられてベロンベロンに酔った下品な母が立っていた
「お迎えありがとうねぇ…お母さん楽しかったのか飲みすぎちゃったみたいで」
と上品なお母さんから下品な母を受け取り 腕をがっしり組んで千鳥足であちこちいく母を方向転換しながら導き家に収監した
母は当時身長165㎝くらいあったので はじめて自分が肥満児でよかったと感じたものだ
今でもその時のことを覚えている
「自分は大きくなったら 酒に酔って幼い子供に迎えに来てもらうような母親にだけは絶対にならないようにしよう」
とおかげさんで学ぶことができた
ありがとうございます
歯磨き
上記の母の酒癖で「時には自分の歯を抜いてみたり」と書いてあるのが気になった方もいるだろう
母は歯を磨かないひとだった
なので歯は黒く歯茎も下がりグラついていたんだろう・・・泥酔したときにワタシの目の前で歯をつかみグラグラ動かしてズポッと抜いたのだ
その光景は子供ながらに衝撃的だったのを覚えている
そんな母だもんでワタシたちきょうだい みな歯を磨くことを教えてもらえないまま育った
ある日姉が
「えめたん・・・
歯ってね・・・
磨くんだよ」
と教えてくれて姉がイチゴ味の歯磨き粉をくれたりして小学校低学年から磨くようになった
でも時すでに遅し!ワタシたちきょうだいは虫歯だらけになっていた
ほんと きょうだいみな幼いころから歯痛や治療を乗りこえてきたとおもう
こんなおもいは子供たちにはさせたくないのでいまだに「歯を磨け!」とうるさく言っている
とりあえず愛する子供たちに目立った虫歯がないのはワタシの母のおかげでもある
ありがとうございます
母としての愛
小学生のころ一緒に登校するお友達の家は 友達が準備完了するまで玄関に入れてくれる家だった
インターホンを鳴らすと「はぁい!」とAラインのロングスカートをはきエプロンを着けた上品なお母さんが出迎えてくれる
肥満児のワタシは玄関に入ると「今日はトーストだな」「今日は魚だな」とにおいで朝食を想像していた
友達が準備できて玄関にやってくるとお母さんもやってきて「忘れ物ない?」「気をつけていってらっしゃい」と声をかける
小学校から高校まで数人のお友達の家のインターホンを鳴らしたが やっぱり大概のお母さんは家庭的で子供の通学の安全を願い「いってらっしゃい」と声をかけていた
ワタシはそんな家庭に憧れを抱いていた
なぜなら
基本母はワタシたちが登校のとき睡眠中だったからだ
金曜日はなぜか学校の給食のごはんが出ないため弁当箱にごはんを入れて持っていかなければならないのでギリギリに起きてきてごはんを用意してくれたが
数ある弁当箱をチョイスしフタを開けるとフッサフッサにカビの生えたカラフルなごはんがたまに入っていた・・・
カラフルなごはんを捨て食器洗剤で洗ってその弁当箱でごはんを持たせてくれたが 給食のとき弁当を開けるとカビ臭くて食べられたもんじゃなく
そっとフタを閉じた
肥満児にとって給食のご飯を食べられないのは餓死に匹敵するくらい重大なことなので帰宅してすぐ母に怒りの抗議をした
そんな母も何かの間違いで目覚めたときは食パンを焼きカップスープにお湯を入れてくれたりコーンフロスティと牛乳を出してくれたが ワタシが中学生の頃にはほぼ起きることはなくなっていた
こんな母なもんで
もちろん上履きは洗わない
洗濯はしない
風呂に入りたかったら入りたいひとが浴槽洗え
娘の胸が大きくなっても気にしない
初潮がきてもいい年頃なのに気にしない・・・など
最低限の母らしいことをしなかった
夜は自営の電気屋を19時に閉め 夫婦仲良くパチンコに行くか飲みに出かけ酔っぱらって帰ってくるため いつの間にかワタシたちきょうだいは親になにも期待しなくなり
学校での出来事や友達のこと自分のカラダや不安なことをあまり両親に話さなくなった
ワタシは小5で初潮をむかえたがいっさい母に報告をしなかった
小6のときに「えめたん生理きたでしょ?お尻が大きくなってる」
とだけ言い 生理の話や生理用品の用意などは姉がしてくれた
ブラジャーも中学生の頃まわりが着けているのにあせり母に言って買ってもらった
そんな経験をさせてくれたため子育ては母とはま逆のことをし ワタシと子供たちは「友達親子」のように仲良くふざけあったりなんでも話せる親子関係を築くことができた
子供たちは学校から帰ってくるとその日の出来事をふたりいっせいに話してくれるのだ(笑)
ただちょっと…子供たちについてやってあげすぎは母みたいに怠慢に育ちそうでよくないと感じる
塩梅がむずかしいが母親としてやってあげて自分でもやらせてみるがワタシの今後の目標だ
ありがとうございます
不機嫌な人
不機嫌をあからさまに態度にだすと「不機嫌ハラスメント」といわれる時代
まさにその不機嫌に悩まされてきた
あからさまに不機嫌をだされると一瞬にして場の空気も悪くなるしほんとよくないと感じる
思い通りに行かなかったとき
自分は悪くないと思っているとき
何かしら指摘されたとき
子供たちがいつも注意されていることをできていなかったとき・・・など
しかめツラで大きなため息をつき イライラアピールをされて物にあたるときもあったり戸を強く閉めたり・・・
車を運転しているとき不機嫌になるといきなりスピード出したり・・・これはホントにコワい・・・
でも家庭以外のところでは出さないため 温厚な人や話しやすい人などと思われていたりするんだよね・・・自分の母親の前でも出さないんだな・・・
でもワタシも子供たちが小さい頃そうだった
いまワタシはこんなに家のことをしているのに自分はゲーム?
土日ワタシだって休みたいのに
子供たちに関心を持ちもっと遊んでくれてもよくない?
んじゃせめて子供たちのことや家事以外のことやってよ・・・など
いちいち言葉にしなくても態度見て察してよね!!的な
パニック障害&子育てで気持ちに余裕がなかったんだよね
ほんと未熟だった
でも近年 ひとの不機嫌なさまを見ることが増えたおかげで勉強になった
その人に対して怒りの感情をある程度コントロールできるようになり話すときも冷静になり
責めなくなったし
期待しなくなったし
前より頼らなくなった
あー…心配もしなくなったかな
「無」を習得したのだ(笑)
「怒り」の感情ってもの凄いエネルギーを使うらしく そのエネルギーは怒りの矛先ではなく自分の肝臓を攻撃するらしい
たしかに よく怒った翌日はなんかダルくぐったりすることもあったりした
今は「無」のおかげでかなりラクになった
今後他人にイラ立ったときに役に立つだろう!
ありがとうございます
過去を振り返ってみると母についてはもっとたくさんのエピソードがある
なので母のことはちょこちょこブログに出てくることになるだろう
みなさんもぜひ 絶望に浸らずマイナスなものから何かを学びプラスに変換して自分の「財産」にしてみてはいかがかな?簡単に言うんじゃねーよ!ってな(笑)
ありがとうございました