家族
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【母の日】に母死す!肺がんと宣告され3か月で突然の呼吸停止

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2025年5月11日「母の日」だった

午後スーパーで買い物をしていたとき兄から「お母の”呼吸が止まった”って病院から連絡が来た」と電話がきた

母は3か月くらい前にデイサービスの方から「お母様の血圧が低すぎるので病院で検査してみてください」といわれ検査をし

肺がんです…年齢や体力的に手術はしない方がいい」と医者にいわれ病院で緩和ケアをしていてそろそろほかの病院に転院の予定だった

入院当初は普段の母と変わらず気にくわない看護師に悪態ついたりで

なんなら”ちょっと元気になってきたんじゃないかな”と思っていたが

数週間前から呼びかけてもボーっとするようになり様子が変だった

なので父とワタシたちきょうだいはなんとなく覚悟はしていたが医者から

「今日が山です 会わせたい方がいらっしゃったら・・・」

などという死の宣告もされていなかったので呼吸停止にはびっくりしたのだ

とにかく兄からの”呼吸が止まったらしい”という情報しかなかったため母の隣の病室に長期入院してその病棟の”ぬし”になっている父に電話をかけてみた

「しもしもー!?」

と陽気に平野ノラさんのギャグで出る父(笑)

ワタシ
ワタシ

ちょっと!

お母の呼吸が止まったらしいんだけど!

何か聞いてる!?

「は?」

と知らないようす

ワタシ
ワタシ

病院からお兄に「呼吸が止まった」って電話来たみたいだから

お父からも看護師に聞いてちょうだい!

「わかった確認してみる」

といって数分後おり返し電話がきた

「止まったみたいだ・・・」

ワタシ
ワタシ

そうなんだぁ・・・

わかった

といって電話を切った

とにかく実家に帰らねばとスーパーでの買い物をスピーディに済ませたが頭のなかで

”家を空けることになるが食料買いすぎではないか?”

”呼吸が止まったって死んだってこと?”

”喪服持ってくか?急に息を吹き返しましたってなったら?”

”息子は学校何日休ませるか”

”仕事中の娘に伝えたほういいのか?”

など高速でグルグル考えがめぐりめぐっていた

自宅につき喪服を持っていくべきか確認するため父に電話をした

「もしもし・・・」

ワタシ
ワタシ

もしもし

いま帰る準備するんだけどお母って死んだの?

「そう・・・なるな」

ワタシ
ワタシ

んじゃ喪服を準備して帰っていいのね?

「おう・・・いい!」

この言葉をきいてからバタバタ準備をはじめた

息子は自ら「忌引きは何日間ですか?」と担任に電話をし

担任から「祖父母の場合は3日間が忌引きになるけど家族のこと優先して休んでいいぞと言われたもんだから1週間休む気満々で準備をしはじめたこんな仕事がはやい息子をみるのはじめてだった

ワタシは準備の合間にすでに母の死を知っているであろう姉にLINEをした

LINE

ワタシ「お母のことを聞こうとお父に電話したら”しもしもー!”って出てさ(笑)お母が呼吸止まったの知らなかった

姉  「え、呼吸止まったの?」

ワタシ「え?」

姉  「え?」

姉  「仕事中でよくわからない」

姉  「呼吸が止まったとはどういうことだ?」

兄はパニくってワタシ姉の旦那だけに連絡をしたようだ(笑)

ワタシだけ地元を離れて暮らしているため緊急時に現場で動けないワタシにはいちばん最後に連絡がくる

なのでてっきり姉も知っていることだと思っていたのだ

そしてワタシらが実家に向かっている途中に姉から「お母は亡くなったのか?」とLINEがきて「んだ」と返信して姉は誰よりも遅れて母の死を知ることになった

とにかくみんなが「え?」というくらい突然のことで悲しみよりも理解することに精いっぱいだったような気がする

出発から2時間 地元の葬祭センターにつき無言の母と対面した

肺がんはがんのなかでも一番苦しいがんといわれているようだがおそらく母はスっ…と呼吸が止まったのかもしれない

そのくらいおだやかな顔でほんとに寝ているようだった

「お疲れさま苦しまなくてよかったね」

と話しかけ母のくちに水をひいた・・・

享年77歳 まさかの母の日に死す

しんみりとした雰囲気はここまでで これから弔問客お出しするお菓子役所の手続き葬儀の打ち合わせなど遺族はここからが戦争だ!

次回にしよう

こちらもぜひ!
母【肺がん】だってよ
母【肺がん】だってよ

ありがとうございました

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