父の【葬儀】も母のときのように明るくおくってやれたのでよし!

2か月前に母が亡くなりあとを追うように父も亡くなってしまった・・・
夜中兄からの知らせをうけ翌日父に会うべくいそいそと荷造りをし自宅を出た
自宅から父のいる地元まで車で2時間かかるのに出発から15分くらいの所でいちばん忘れてはいけない喪服を忘れたことに気づきUターン!
自宅を出るまえ息子に「ほら!ワイシャツちゃんと入れなさい!って言ってるでしょ!」とか言ってただけに少し気まずい・・・
そんなこんなで父が眠る葬祭センターにつき父と対面した
いつもしゃべってばかりいた父が静かに眠っていて涙がボロボロでた
ワタシと父は誕生日が一緒で性格も似ていた
なんか・・・親なんだけど”仲間を失った”感覚があった
そして悲しみも落ちつきまだ記憶に新しい一連の流れがやってくる
通夜(つや)
社交的で顔の広い父だったので父に会いに来てくださった方は母より多く
みなさん痩せ細った父をみて「でもイケメンだね」とおしゃっていた
いつも見栄えを気にして一日何回もブラシで髪をセットしていた人間だったので
「でもイケメンだね」といわれて”悔いなく天に昇れるだろう”と勝手に成仏して天に昇る父を想像していた
納棺
息子が恐れていた”納棺の儀”がやってきた
母の納棺のとき笑い上戸な息子はワタシと姉に標的にされていた
耳元で「納棺師がテーブルクロス引きをしてばあちゃんがゴロンとしたらどうする?」など息子にいろいろ耳打ちしていたら
顔を真っ赤にして笑いをこらえていた
ワタシにとってかなり軽い冗談だったが息子は死にそうなくらい笑いをこらえていたらしい
でも今回姉は仕事で不在だしワタシは涙が出てきてそれどころではなかったため父と息子にとっては安泰の納棺となった
無事父を棺に納め仕事を終えた姉も顔をだした
職場の人に「お父さんにお供え」と直径30㎝太さ6㎝くらいの育ちすぎたキュウリを2本もらったらしく
ちょっと反ったほうを「父の股間に入れてやろう」と話していた
火葬までのこと
母が亡くなったときは三日目で火葬だったが今回父のときは地元のあちこちで不幸があったため六日目でやっと火葬となった
その間ずっと日中から葬祭センターで待機をし夜に親しい人が集まり通夜振る舞いをしてすごした
日中”何もすることないなぁ・・・”とキョロキョロしていたら父のスマホが目に入り
”あそうだ!父のスマホを見てみよう!”と手にとった
”入院中Amazonプライムビデオで何みてたのかなぁ・・・まさかエロいのみてないよね・・・”と履歴をみてみたらアクション映画や昔の映画ばかりだった(笑)
LINEもチェックしてみると文面からしておそらく女性で親し気な人もいたが
それよりも”父のスマホで誰かにいたずらLINEしてみよう!”と思いLINEしてみた
まずは仕事中の娘に

オス!おら、じいちゃん!
と送ったら「怖い怖い怖い笑」と返ってきて
目の前でゴロゴロしながら自分のスマホをみている小4の姪っ子にも送ってみたら過呼吸になり
ワタシたち3きょうだいと父のグループLINEに

ハハハハハそれは笑える
と送ったら姉から
「お、お、お父!!お父なの?お父ーーー!!!!」
「てか本当にお父か?だったら次の質問にこたえよ!バカは死ななきゃ?」

死んでいる
といった茶番劇をしたりしてすごした
戒名
兄から「戒みょん」が届いたと連絡があり
さっそくどんな戒名かみてみた
父の名前と「輝」「弦」という文字があった
「うん!若いころからバンドを組んでいて病気してもステージに立っていたお父らしい戒名だね!」とみんなで話した
そこで姉が「ずっと痔だったから”痔”が入ってもよかったね」と言い
「なら”痔大黒堂”にしたらよかったね」と話した
父は若いころからずっと痔に悩まされていて昔の薬局で見る”ぢ”という看板の「ヒサヤ大黒堂」に憧れをもっていた

ただ高いんだよ・・・
と うんこしたあといつも肛門が痛いためうつぶせになって嘆いていた
生涯ヒサヤ大黒堂を使うことなく憧れでおわったのだ・・・
火葬
火葬の日は母のときと同じく早めに火葬場に行き控室に飲み物やお菓子をセッティングして父が到着するのを待った
地元で不幸がつづいていたので火葬場は「○○家・○○家・・・」とスケジュールびっちりだった
母の火入れのとき号泣していた姪っ子も慣れなのか泣くこともなく
「泣きやんだらお母のときみたいにお父の写真をみせてまた泣かせよう」という企みも消え
おとなしく父が焼きあがるのを待ちみんなで骨をひろい火葬場をあとにした
告別式
火葬のあと葬祭センターに戻り告別式・初七日・納骨(お墓に移動)が執り行われた
火葬までが長かったのでこの日は一日にみっちりと詰め込まれていた
告別式の会場にはバンドで使っていたベースが飾られ会場にはビートルズなどの曲が流れていた
葬儀では笑ってはいけないのにいままで身内の告別式には”笑いの試練”が次々と襲い掛かってきたが
父のときは特に試練はなく母のときの
”甥っ子の短すぎる弔辞”もChatGPTのおかげで改善され
”兄の喪主挨拶”のときにポケットから取り出した溶接できそうなゴーグル拡大鏡も今回出番はなかったので
ほんとおだやかに終えることができた
葬儀一式おわって気づいたことだがベースのほかにも藍綬褒章でいただいた賞状と勲章を飾ってやればよかったと思った!
父は過去に調停委員を務めていてその時に受賞したのだ
あーそれが後悔!

父の葬儀は母の時の疲れが残っているのか笑いを母で使い果たしたのかみんなおとなしめだった
それがフツーか(笑)
もしかしたら母のときに担当してくれた葬祭センターの”よく笑う菊池さん”ではなかったためみんなの菊池さんを笑わせるという熱がなかったからかもしれない
父の担当者はなんだか暗い方だった
それがフツーか(笑)
父と母を弔問してくださった皆さん
あえて両親の死を伝えてなかったけどブログを読んでお気持ちをくださった友人やママ友さん方
こういうとき「ありがとう」って言っちゃダメらしいけど
まことにありがとうございました!
ほんとありがたかったんだもん!
短期間で両親亡くなったけどみなさんのお気づかいがワタシたちの癒しとなりました
お父!
遊んでくれたこと今でも覚えてるよ!
お父のひょうきんなとこもちゃんと遺伝したしね
孫たちも立派に育ってるはずだから
よみがえろうと企んだりせず安らかに眠ってくれ!
ホント楽しい父親でした!
ありがとう!

なんかバグってる写真にみえる・・・(笑)
ありがとうございました
