母の【葬儀】みんなで明るくおくってやれたので満足!

肺がんで緩和ケアのため入院していた母が突然亡くなった

じいちゃんやばあちゃんが亡くなったときの葬儀があまりにも大変で忙しく“家族が亡くなるのは泣く暇もないくらいこんなにも大変なんだ・・・”と痛感していたため母のときも覚悟したが
時代はかわり昔ほどそんな忙しくなく儀式が短縮されていたため葬儀一式終わるまで長いものではなかった
通夜(つや)
地域によって”通夜”という儀式は異なるものらしいが私の地元の通夜は
亡くなった生身の故人に最後のお別れをするべく弔問しくちを水で潤すというのが通夜だ
”死に水”というらしいが私の地域では「水ひきに行ってくる」とか「水っこひきに行ってくる」などなまっているおかげで少しやんわりとした言い方だ
そして線香を絶やしてはいけないためちょこちょこ線香の減り具合をチェックしキョンシー映画に出てくるようなでっかい線香を線香立てにぶっさす!
寝るときは長時間持つ蚊取り線香のようなうずまき状の線香をつかうことで遺族は気にせず眠ることができる(じいちゃんのときは無かったぞ!!)
ワタシはこの通夜初日あわてて帰省し葬祭センターで眠る無言の母に手を合わせそのあとは弔問に来てくださった方がたと遅くまで話をし葬祭センターをあとにした
兄と姉夫婦は葬祭センターに泊まったが兄と姉旦那のいびきとラップ音で姉は一睡もできなかったらしい(笑)
納棺
二日目 納棺師のかたがきて母を棺桶に入れるべく”納棺の儀”を家族だけで行った
母の顔を拭いて男性ばりにシェービングフォームをぬり顔ソリをしてくれキレイに化粧をしてくれた
頭には水のいらないシャンプーをしてくれてオールバックに仕上げてくれた
男勝りな母には違和感のない仕上がりだった
家族で手の甲にあてるやつや足袋を縦結びに結んであげて母を棺桶に入れてあげた
納棺師のかたが「なにか入れてあげたいものはないですか?」と聞いてきて家族全員
「たばこ!」
と言ったのでたばこを入れてやることにした
誰かが「たばこを手に持たせてやってもいいか?」と納棺師に聞いたら「いいですよ」と言ったので母の指にたばこをはさめた
すんごいしっくりきてファンキーな仕上がり!こんな遺体みたことない!
「お母って感じ!なんか今まで違和感あったけどたばこが足りなかったんだ!」
と場の空気が和やかになった
そのあと誰かが「お母はエクレアとチョココロネが好きだった」と気を利かして袋から出し棺桶に入れてくれたが
エクレアもチョココロネもうんこにしかみえなかった
火葬
三日目は母の肉体とお別れの日だ
ワタシは”出棺の儀”のまえに火葬場の控え室にお茶とお菓子を並べるため姉と子どもたちと先に火葬場へ出発した
火葬場は新しく建設されていてワタシは初の火葬場だった
いうことナシ!新しくてキレイでいい火葬場だ!しかも昔と違って焼き上がりも1時間というスピード
準備も終わり時間を持てあましていると母とみんなが火葬場へ到着し弔問客の方も続々ときてくださった
ワタシも知っている姉の友人が来てくださったので母のところへ案内した

はやく!はやくお母を見てほしい!
と言ったら友人は
「なに⁉書いた?書いたのか?」
と聞いてきて”まぶたの上に目を書いたな”と思われたがさすがにそれはできなかった(笑)

書いてはいない(笑)
はやくよくみて!
と母に会わせた
「たばこ持ってんじゃん!いい!おばちゃんよかったねぇ!」
と好評
そのあと和尚さんのお経とともに生身の母にみんなでお別れをし火を入れた
小学4年生の姪っ子がすごい泣いていて控え室に移動してもずっと大泣きをしていた
ワタシはずっと姪っ子を監視しやっと泣きやんだところを見計らって
「ほら…ばあちゃんだよ」
といってスマホで母の顔写真をみせ再び大泣きをさせた
そうやって焼きあがるのをみんなで待ち「○○家のご家族さま・・・」と焼きあがりのお知らせがアナウンスされ
焼きたての母のところへわらわらと移動し家族で骨をひろい火葬場をあとにした
逮夜(たいや)
四日目は”逮夜”だ
逮夜は葬式や命日の前日という意味らしく前夜に親族が集い和尚さんにお経を唱えてもらって会食をするという
地元もそんな感じだが近年お経を唱えてもらったあと逮夜で食べるはずだった折を手渡して終わりというお互い負担がない仕様になっていた
わが家も手渡し方式にして親戚の方がたも「楽でいい!」と言っていた
お寺によっては逮夜自体がない場合もあるとか
それでいい・・・
告別式
五日目は”告別式”だ
告別式はいままでいろいろな試練があった
なんの試練かというと”笑い”だ
娘が3歳くらいのころ告別式で「ドリフみたい」と発言したり
耳の遠い親戚のばあちゃんが志村けんさんのひとみばあさんのようにフガフガとフガついてたり
ばあちゃんの補聴器がハウリングして「キィー!キィー!」鳴ってたりと
笑ってはいけないのになぜかさまざまなシーンで”笑いの刺客がいる”
ほか様の告別式に参列するのとはちがって自分の家となると”家族の死から告別式”まで”悲しみ”と”忙しさ”と”疲れ”と”慣れ”がでてきて「悲しみへの抵抗力」が身についている状態だ
なので葬儀の最後の儀式”告別式”には気も抜け無防備になっていることが多い
今回は
”和尚さんのスリッパが脱げた”とか”甥っ子の弔辞がやけに短かった”とか”喪主のあいさつで兄が溶接しそうな拡大鏡を取りだしてかけた”など
各々に笑いのツボがあったようだ
ー余談ー
母の人柄
母の訃報を知り母の同級生やら親族の方がたが弔問にいらして母のエピソードを話してくれたが
ほとんどが”おっかなかった(恐かった)”と言っていた(笑)
若いころはいつも男の”子分”を数人ひきつれねり歩いていたり
学校前の急な坂道に水を撒いて下までスベり落ちていく人を笑ってみていたり
ワタシの友人せいじ君は母に「せいじ!せいじ!」とかげで手招きされ”お小遣いでもくれんのかな”とおもったら
「たばこ出せ!」「あのヤローども(家族)! あたしにたばこを吸わせないようにしやがって!」と言ってたばこをカツアゲされていた
いぜん父が通院のため病院へ行ったとき「あんたおっかなくないか(恐くないか)?〇〇ちゃんと一緒になって」と話しかけられたことがあったと言っていた
生前ばあちゃんも「むかし娘さんに頭叩かれたった」と話しかけられたりして恥ずかしいと言っていた
そんな話ばかりだった・・・
でも母は正義感があり悪い人には喝を入れたがいい人には何もしなかったみたいだ
良かった(笑)
たしかに姉の同級生の暴走族をとっ捕まえて「お前らはなにやってんでぇ!」と頭叩いていたみたいだから母なりに正義だったのかもしれない・・・
みなさん!こんな母と関わってくれて家族一同ありがとうございました!
葬祭センターの菊池さん
母の葬儀は”菊池さん”という30代くらいの物腰柔らかそうな男性が担当してくれた
この菊池さんがいいキャラで我が家のお気に入りとなった
たいてい葬儀などの清々粛々な場ではワタシたち姉妹がカマしたボケなどは笑うわけにもいかず親族以外見て見ぬふりされる
ましてや葬儀会社の職員が笑うなんてもってのほかなんだろう!
しかし菊池さんはそんなことなく打合せで面白い発言をすると「ははは!」と肩を揺らして笑うのだ(笑)
我が家は”おふざけ一家”なのでワタシたちにとってはその方がいい!ボケてシーン・・・となるより笑ってくれた方が断然いいのだ
日を追うごとに”菊池さんを笑わせろ!”的な雰囲気になり
「戒名高いな!AIに生成させるか⁉」「遺影の背景はパチンコ屋がいいね」など言って菊池さんをわざと笑わす発言をしていたが
葬儀最終日菊池さんがこちらを見てニヤっとして通り過ぎるたび逆にワタシたちが笑うという現象が起きていた
「菊池さんを今まで笑わせてしまったから菊池さんの逆襲がはじまったんじゃないか⁉」
と噂した
でもこの菊池さん
火葬や告別式のときは顔つきがキリっと変わり口調も力強く全くの別人になる
プロ意識はすばらしかった!わからないこともしっかりと教えてくれたしアホな質問にも答えてくれた家族一同ありがとうございました!
親友さゆり
納棺の儀のまえに遠方からワタシの親友さゆりが母に会いに来てくれた
やられた・・・
そうくるとは思わなかった・・・
彼女は身につけるとマッチョにみえるマッチョのエプロンをつけてきたのだ
みんな大笑いをし”さすが親友だな”と
笑いもひと段落したあと空の棺桶のまえに連れて行き「お母に会ってちょうだいと」ボケをカマして簡単にひっかかる親友さゆりに笑う菊池さん
もうカオス!
親友さゆりが会いに来てくれて母も喜んでいただろう!
家族一同ありがとうございました!
ちなみに親友さゆりよ
そのエプロンワタシも持ってんだからな・・・
どういう意味かわかってるよな・・・
突然の母の死でバタバタはしたがまったくもってジメジメとした葬儀ではなく明るくアットホームに母をおくりだしてあげれてとてもいい葬儀だったと感じた
ほんとは父もいたかっただろうが母と同じく大病で入院していたので葬儀には関われなかったけど気持ちはとどくから!それにベッドの上でみんなに指示してくれたしね(笑)
母は生前たくさんの方に支えていただいてご迷惑もおかけしました
家族一同 ありがとう&すみませんでした
いままで「なんて母親だ!」というエピソードがたくさんあって喧嘩もしたけど
いまの母へのメッセージは
お疲れさまでした。
いろいろな学びをありがとう!
ゆっくり眠ってくれ。
そして悪いヤツがいたら殴っといてくれ。
ありがとう!

ありがとうございました