【父】死す!母が亡くなって2カ月なのに・・・

父が亡くなった
母が亡くなって2カ月しかたっていないのに
父は母が亡くなった時期は入院中ではあったが”あれ食べたいこれ食べたい”などまだ元気だった
何回も死にそうになっては復活するのでその不死身さに家族全員おどろいていたし「このひと死なないんじゃないのかな・・・」と思っていた
そんなこんなで何度もワタシたちに喪服を準備させた父の闘病の軌跡を振り返ってみる
うちの両親(70代半ば)は何がなんでも病院に行かない人たちでカラダがどんなにツライ状態でも”寝て治す”精神の持ち主だった
父は大腸がんやその他もろもろで闘病していたがその大腸がんだって酒に酔い階段から落ちて頭が割れるという”病院に行かざる負えない状況”だったから発見できた病気だ
階段から落ちたときも血だらけの頭で布団に寝ていて翌朝兄に発見されて病院に連行されてったのだ
本人はあまり記憶がなく泥酔状態だったらしい・・・
先生の診断は脳挫傷と頭蓋骨が割れているそんなニュアンスの病名だった
ぶつけたところではなく反対側の脳が崩れていて「相当な衝撃じゃないと起きない現象です」とのこと
「なのでおそらく頭から落ちたのでしょう!」と
でしょうね
医者に「今度転んで頭を打ったら命にかかわります」と念を押され頭に果物ネットのようなものかぶせられて帰宅
そして2度目の転倒
医者に「奇跡的に助かったが後遺症として認知症のような症状が出るかもしれない」と言われた
父は認知症のような症状はでなかったが第1回目の転落後休むことなくしゃべるようになった・・・
明石家さんまさんのようにずっとしゃべっている・・・
家族みな「頭打ってからおかしくなったと」話していた
その後大腸がんをとり人工肛門にする手術などをしてまぁまぁ元気に生活していたが
抗がん剤治療を開始してからみるみるうちに体調は悪くなりかなりやせ細って肌の色も黒くなっていった
なにか食べたくても口内炎がひどく皮膚感覚もビリビリしたり
歯もいっぱい抜けたので食事がちゃんととれず歩くのもヨロヨロになった
「あれは食べたくない」と己のわがままでちゃんと食事もとらなかったためすっかり痩せてしまって骨と皮になり晩年は寝たきりになっていた
抗がん剤で免疫力も下がってしまったので何かしらの菌に勝てなくなり高熱になったり栄養失調になったりで何回も死にそうになって入院をしては少し元気になって退院をするということを繰り返した
そのなかでもワタシたちきょうだいが”父の死”を覚悟したのがコロナ感染と腎不全だった
コロナのときは父自ら「高熱で呼吸がおかしい」と訴え病院に行ったらコロナ陽性だった
「さすがにあのカラダでのコロナはヤバいんではないか・・・」ときょうだいで話し各々が”最悪の事態”を思い浮かべた
しかし元気になって退院してきてまたマシンガントークがはじまったのだった
そして次が腎不全
食事も水分もとらなくなりコーヒー色の尿が出て父自ら救急車を呼び入院となった
医者から脱水症状による腎不全と診断され「あまり良い状態ではない」と告げられた
入院したときは普通に話していた茶色い尿の父だったが入院から数日で目はうつろで声はかすれ意識もうろうとしていた
そしてせん妄によりおかしなことを言うようになった
”三匹のネズミがベッドを支えている”
”亡くなった親戚が会いに来た”
”病室の天井を指さして○○さんがいる”など
非現実的なことを言ったり家族の顔をみても誰なのか認識できていないようだった
こんな状態の父をみてきょうだい各々が喪服に不備がないかチェックをし姉と兄は葬祭センターへ相談しに行った
しかしその後みるみるうちに頭がしっかりしてきて尿も黄色くなり息子とパソコンの専門的な話をするくらい回復した
こんな感じで本気で死にそうになっては復活していたので”まだまだ大丈夫だろう!”とみんなが思っていた
亡くなる3週間前「スイカだスイカが食べたい」「丸ごと持ってくるなよハハハハハ」と黄色い尿の父からLINEがきたので
見舞ったらおいしそうにスイカを食べていた
2週間前には院内でWi-Fiが使えない文句を看護師に言っていた黄色い尿の父だが痛みを訴えたり意識朦朧として支離滅裂なことを言ったりして
兄に看護師から「痛み止めが効かなくなってきている」と話された
そして亡くなる数日前から話せない状態となり姉夫婦と兄に見守られ深夜に息をひきとった
父 享年75歳6年間の闘病のすえ死す
みんな”大好きな母を追いかけて逝ったんだ”と話していた
なんとなくワタシもそう思った
だって父からふざけたLINEはくるし電話もくるし元気だったんだもん
なのに・・・こんな急に
幼いころは遊んでくれてふざけることや面白いことが好きな楽しい父でした
母と同じく父の葬儀も明るく見送れたと思うのでその様子は次回
ありがとうございました
